日本食と器の歴史

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日本料理のことを指す、「和食」。この和食の「和」は「和える」、すなわち混ぜ合わせるという意味で当社は捉えております。日本の食文化と器はともに歴史を歩んできております。特に日本の料亭では食材だけでなく、器でも四季を感じられるようにし、目で楽しみ、味も楽しむといった趣を感じる料理がたくさんあります。
様々なデザインの器が使われる茶道では、「一座建立」という言葉がございます。茶会を開く際に大切にされている言葉で「お客様を招くときにはできる限りのことをしてもてなす。それにより同席者の皆と心が通い合うことで気持ちの良い状態が生まれる」ことを言います。
このように、奥ゆかしさのある日本人にとって器とは、おもてなしの気持ちを伝える手段としても使われ、美術品としても楽しまれてきました。

日本食と器の歴史
日本食と器の歴史
日本食と器の歴史

日本食の歴史について

日本における「料理」は、奈良・平安時代に、貴族が食事作法を確立し、日本独特の食事作法が形成されました。
鎌倉時代になると、僧侶たちにより植物性の素材だけを使った「精進(しょうじん)料理」が生まれ、室町時代には貴族(公家)と武家の食文化が融合した「本膳(ほんぜん)料理」が誕生しています。その後、安土桃山時代には、茶の精神性を汲む「茶懐石料理」が、また江戸時代初期には、食事をくつろいで食べる「袱紗(ふくさ)料理」が生まれています。これらの影響を受けながら「本膳料理」は、江戸の武士や町人がお酒とともに楽しむ「会席料理」に発展していきます。

「精進料理」

仏教思想から生まれた料理、動物性の材料を使用せず、すべて植物性の材料を使っているのが特徴であり、日本で初めての精進料理「結解(けつげ)料理」は東大寺で作られたそうです。

「本膳料理」

武士の「元服」など祝儀の際に振る舞われた料理、現在でも皇室の結婚式などに出される料理は「本膳料理」の流れを汲んでいると言われます。

「茶懐石料理」

茶事や茶会の席で出される料理、禅宗の僧が寒さによる空腹をしのぐため、温石(おんじゃく:温めた石)を懐に入れたことに因ると言われています。

「袱紗(ふくさ)料理」

江戸時代初期までは、公家や武家は「本膳料理」主体でしたが、裃(かみしも)をつけ儀式ばった礼法に飽きた人々が、普段着の袱紗袴(ふくさはかま)でくつろいで食事をした時の料理です。

「会席料理」

現在の料理で、お酒を楽しむための料理で、厳格な作法はなく、吸い物、刺身、焼き物、煮物の「一汁三菜」を基本に、お通しや揚げ物が出される料理で、一品ずつ、できたての料理を配膳するという喰いきり料理となっているのが特徴です。

「割烹料理」

江戸後期に高級料理店などでこの言葉が用いられるようになりました。「割(かつ)」は包丁で切ること、「烹(ぽう)」は火を使って煮ることを意味し、主に関西から広まり、現在は高級外食店で出される料理を表す言葉として使用されています。

有田焼の歴史について

有田焼の歴史についてに関しましては、現在準備中となります。

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